ハッピーエンドとは?
ハッピー・エンド。
はっぴいえんど。
いつ、どの時点でハッピーエンドなのか。
何かが達成されたときか?
何かが満たされたときか?
死ぬときか?
4人いたときか?
ハッピーエンドの先には何があるのか。
エンドなのだから、そこで終わらなければならない。
話が終わるのか?
何かが終わるのか?
命が終わるのか?
ハッピーエンドの先にはハッピーエンドは無いのか。
そのに先は、ハッピーエンドはないのか。
私はハッピーエンドを経験したことがありません。
友人が、紆余曲折を経て幸せになりました。
そこまでの過程を考えると、ハッピーエンドなのか。
では、そこでエンドなのか。
もしくは、デジタルに時間や出来事を切り張りしていって、その単位を終了する時点でハッピーであればいいのか。
よく言われる、「ハッピーエンド」と言う概念が「死」ではない限りわかりません。
映画を見ても、どんな幸せなエンディングでも、それがハッピーエンドなのかわからなくなるからです。
幸せの概念が人それぞれ異う中で、何を一概にハッピーエンドとして捉えるのかが、昔からわからないのです。
昔、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と言う映画を見たとき、自分はハッピーエンドだと思いました。
昔、阿部公房の「ともだち」や津島修治の「人間失格」を読んだときも、ハッピーエンドだと思いました。
ハッピーエンドは、死によってもたらされる、第三者の妄想でしかないからだとしか思えません。
それが実在の人物であれ、物語の登場人物であれ、それからを生きていかないモノにしかハッピーエンドを感じる事は出来ないはずだからです。
誰でも、死によって神格化される(若干言い過ぎですが)可能性があって、例えばあの小渕首相でも、死ぬことによって初めて人格死とされ、ジョンもカートもジミヘンも死ぬことによって「格好いい人生だった」と言う妄想を産みました。
死は必ず誰もに平等であり、死は必ず誰もに公平ではありません。
ある対象の永遠の喪失にしか、人はハッピーエンドを感じることが出来ないのだと思います。
幸福な終わりは、きっと死なのでしょう。
自分が死ぬとき、それがハッピーエンドたるか。それは誰にとってのハッピーエンドであるか。
死して尚不幸であるか、幸せであるか。